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She has a dream 発売

90年2月

She has a dream5 ― 半年振りの新曲だけど、あせりみたいなものってなかった?
智 子 あ、それは全然なかった。半年出していないなんて思いもよらなかった。
ゆかり けっこう、あっという間だったように思う。だから、たまに「出さないの」とか言われると、「あ、出してないかな」って思うくらいで、出した言って気持ちはそんなになかったし・・・。

智 子 ただね、“WAKE UP!”の次は、節目っていうか、変わらなきゃいけない、っていうのがあったから、今から考えると、期間をあけたのはよかったのかもしれない。
― とにかく、今までと随分ちがうよね。
智 子 歌い方も張った感じを変えたしね ― それよりも詩。恋愛ものじゃなくなったでしょ。長岡さん(ディレクター)が私たちのデビュー前の話を(高橋)研さんにして、そのまま詩にしてくれたから、後から考えればすごく歌いやすかったと思う。
ゆかり 詩の内容もサラッとしてて、グジグジしてないからいいんじゃないのかなぁ。私たちこんなだったんだよ、ってみんなに何気なく教えてあげられるし。でも、この曲って最初聴いた時はパッとしないかもしれない。繰返すうちに良さが出る曲だと思うから、すぐにはわからないかもしれないけど、いっぱいいっぱい聴いてほしい。
She has a dreams ― これまでの曲印象強すぎたもんね。
智 子 今まで、そんなに詩の面白さを大切にしなかったっていうか、はっきり言ってそんなに考えてなかったの。こういう歌詞を歌いたいとかって思わなかったのにね。今回、長岡さんがOK出した詩でも首かしげてたもの。
ゆかり こういう言葉じゃ歌いたくない、同じことでももうちょっと違う表現で、とかそういう細かい部分ですね。今までは与えられた詩をただ歌ってて、後から、「あれ、これどういう意味だろう」ってわかんないまま歌ってた部分もあるんだけど、今回は作詞家の人にもどうしてこういう風に書いたんですか、これ書いた時どういう気持ちで書いたんですか、私のとり方はこれこれの二通りあるんですけど、とかもう、もろ訊いちゃったりして(笑)。
― いい意味で、今までのBaBeっぽくないしさ。
智 子 うちのバンドのひともわかんないの、私たちが歌ってるって。でも、そういうのってうれしい。してやったな、って感じ。みんなの持ってるBaBeらしいっていうのがイヤだったの。
ゆかり 決めつけられちゃってたから。
智 子 まだ、“らしさ”って固まってないし、今までのが“らしい”とは思ってないから、別に。ただ元気なだけじゃないから。女の子なんだからそんな訳ないよね。でも、この曲はいい意味で変えてくれると思う。今まではレコード買ってくれとか言ってたけど、今回のは買わなくてもいいから、一度聴いてみてほしい。
Wake Up1 ― で、感想を聞かせてほしい、と。
智 子 うん。手紙がほしい。本当に。

― ゆかりちゃんからは?
ゆかり 最初から構えて聴くんじゃなくて、素直に自分の中に入れてほしいな。全然違うBaBeもわかってほしい。じっくり何回も聴いて下さい。
智 子 外見で人を判断しちゃいけないんだぞ、と(笑)。

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BaBe解散発表時のインタビュー

90年2月

3年前(注:1990年、平成2年当時)、デビュー曲「Give Me Up」が大ヒットして、一躍トップアイドルの仲間入りをしたBaBe。 最近は、よりグレードの高い音楽をめざし、精力的なライブ活動を続けていたが、突然引退・解散″というニュースが飛び込んできた。 原因は二階堂ゆかりの妊娠・結婚″だという・・・・・。

   BaBeは近藤智子(24)と二階堂ゆかりの二人組。
 87年月、「Give Me up」という曲でデビューした。
 この曲は当時の人気ドラマ「あまえないでョ!」の主題歌という追い風を受けて、発売直後にチャートイン。21万枚を超える大ヒットとなった。
 その後も新曲が次々とヒットチャートのベスト10入り。アルバムやCDなどを含めると、現在までの総売上は、およそ35億円にもなるという。
 この1年ほどは、ややファンの目に触れる機会が少なくなっていたが、それは本人たちが音楽に対する本物志向を強めたから。
 テレビなどのマスメディアには意識的に出演せず、全国各地で精力的にライブ活動を続けていた
。  高校2年のとき、ジャズダンスを始めたのが縁で知り合ったというふたり、それぞれがデビュー前には、アマチュアバンドでボーカルとして活躍していたし、 元来が、アイドルというよりはアーチスト志望。そういう意味で、本物志向はいわば規定の路線であり、地道な活動を経た今後に大きな期待がかかっていた。
しかし、そのふたりがなぜか突然の解散″
 智子はソロとして活動を続けるが、ゆかりのほうは、そのまま引退″なのだという。



 「プラスで出たよ」
 医師から告げられた妊娠″の事実にゆかりは・・・・・

 

 「解散しようかという話は、実は去年の11月ごろから出ていたんです」
 と、智子が言う。
 その表情には、解散につきまとう暗さはない。
 ゆかりにとっても同じこと。表情には、開放感に近い、ある種のさわやかささえ漂っている。
 智子の話を続けよう。
 「私たち、行きづまるとすぐに解散しようか″なんて言い合ってきたけど、去年の11月は、かなり真剣でした。デビュー前から、ずっとライブ思考で、 去年は1年間それをやりとおすことげできたでしょ。それでふたりともすごい満足感を得ることができたんですよ。BaBeとしての活動が、 そこでひとつの完結を迎えたというか・・・・・」
 3年間の活動で、自分たちのやりたかったなにかが「完結」した。
 そしてそこからさらなる飛躍を目ざす時。1度、区切りをつけておいたほうがよいのではないか━━━。
 同じような気持ちはゆかりにもあった。
 ただゆかりの場合にはそうした仕事上の理由のほかに、もうひとつ重大な個人的問題も抱えていた。
 「もしかしたら妊娠したのでは」
 という不安である。
 12月に入り、ライブのツアーが始まると、その懸念はいっそう大きくなった。これという原因もないのに、なぜか体調のすぐれない日が続くのだ。
 「ゆかりは一見、あっけらかんとしているように見えるけど、意外と神経質なところがあるの。ちょっと悩み事を抱えると、それがすぐに 胃にくる。12月のツアー中には、本当につらそうでした。でも、わたしたちはもともとべたべたした関係じゃないから、 私のほうからあえてその原因を聞こうとはしなかったけど」
 と、智子。  実はツアーと間前後する12月中旬、ゆかりはすでに、かかりつけの医師の診察を受けている。
 検査を受けた直後、医師は電話で、
 「プラスで出たよ」
 と、ゆかりに妊娠″を告げた

 つまり、不安は現実のものとなった。



 周囲の迷惑を考えた時、ゆかりの頭には、中絶″の2文字が浮かんだ

   

 生まれついての子供好き。芸能人にならなかったら、幼稚園の先生になりたかったというゆかりである。
 子供ができたことは、たいへんな喜びだった。しかしその反面、手放しで喜ぶこともできなかった。
 ゆかりは、二階堂ゆかり″というひとりの女性であると同時に、BaBeのゆかり″でもあるのだ。
 妊娠は周囲の人たちにたいへんな波紋を巻き起こすことになる。
 「女性としての幸福」をとるべきなのか、あるいは、「仕事上の責任」を優先させるべきなのか━━━その両者のせめぎあいのなかで、ゆかりは悩みつづけた。
 ふと中絶″の二文字が脳裏をかすめたことさえあったという
 「自分ひとりで解決しようと思ってましたから、そのこと(妊娠)は智子にもスタッフにも打ち明けられなかった・・・・・。つらい年末年始でしたね。いろんな ことが頭のなかをかけめぐって、1週間、何も喉を通りませんでした。でも私には自分のおなかで育ちつつある小さな命を捨てることができなかったんです。  と、ゆかり。
 芸能人である前に、自分は一人の女性。やはり女性としての幸福をとろう━━━それは「家庭的で子供好き」というゆかりの性格を考えたなら、 しごく当然の結論だったと言えるかもしれない。
 しかし、そのことはただゆかりの本能的な部分、つまり、子供好き″ということによってのみ可能になったのではない。



 「産むんだろう」
 Aさんのひとことが、小さな命の火を救った

 ゆかりにとって心強かったのは、何よりも赤ちゃんのパパ″が大喜びしてくれたことだ。
 医師に妊娠を告げられた日、ゆかりはまっ先に彼・Aさんに報告した。
 するとAさんは、
 「産むんだろ」
 と、あたかもそれが当然であるような反応を示し、その後にいくつもの祝福の言葉が続いたという

 Aさんは23歳でごく普通のサラリーマン。  「身長184センチで子供好き。優しいけど、古いところもある人。結婚したら家庭に入ってくれと言ってます」(ゆかり)
 ゆかりとは高校時代からのつきあいで、交際期間は実に7年。彼女がデビューした当時は、まだ大学生だった。
 ゆかりの「女性としての幸福を取ろう」という決断は、このAさんの強い愛情に支えられて、初めて可能になったことなのである。
 Aさんに話してから1週間後、ゆかりは両親に打ち明けた。
 最初のうち「まだ仕事が中途半端」と反対されたものの、しばらくすると娘の決断を支持してくれるようになった。
 そして年が明けて今年1月、ゆかりは初めてパートナーの智子に告白する。
 智子はストレートに、
 「おめでとう、よかったね」
 と笑顔で言ってくれた。
 それがゆかりにはとても「ありがたかった」という。
 またその直後にスタッフにも打ち明けるが、このときも、
 「おめでとう」
 という祝福の言葉のみが返ってきた。
 「迷惑かけているのは間違いないんだから、わがまま言った私が悪い。でも、みんな意外なほど素直に、おめでとう″って喜んでくれた。その気持ちが 本当にうれしかったですよね」(ゆかり)



 2DKの部屋でスタートする新生活。「幸せにならなくっちゃ」とゆかり

 こうしてBaBeは3月いっぱいで解散することになった。引退コンサートなどは特に行わず、3月22日にリリースされる「Contrast」 というアルバムがラストメッセージとなる。  智子は今後もソロとして活動を続け、プロデューサー業も手がけるつもりだという。
 ゆかりのほうは、すでに2月17日に入籍、3月に挙式した後、BaBeとしての仕事が終わりしだい、都内にある2DKのマンションの新居で Aさんとの甘い新婚生活を営むことになる。そして8月に出産した後、10月頃に披露宴を行う予定だ。
 わずか3年間で幕を閉じることになった、自らの芸能界での生活について、 「3年でやめるというのは、なんだか学校を卒業するよな気分。でも学生だったら、妊娠したところで退学ですよね」
 と、ジョークを混じえつつ感想を語るゆかり。
 「私は幸せにならなくちゃ」
 というゆかりの言葉には、智子とスタッフ、それに3年間、応援を続けてくれたファンへの最高の感謝の気持ちがこもっていた。


協力:同志ちゑ殿

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