北アルプス03秋・1/2
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新穂高温泉 |
9月29日 新穂高温泉〜笠ヶ岳山荘
無料なのでつい来てしまう、新穂高(しんほだか)温泉駐車場。今朝は10度を切る寒さで、上を向くと雲が低く垂れ込めていて、30メートルほど上は雲の中。徐々に、徐々に、雲は後退しているけど、あまりにもゆっくりしていてもどかしい。
俺と同じように昨夜ここに到着した人たちが、この雲に押さえつけられるような重苦しさの中、ちらほらと歩き出して行くけど、俺は出発する気にはなれず、天候の快復を待ちながら暖房が効いたクルマの中でパンをかじりながグズグズしていた。
7時過ぎ、起きてからもう2時間近く経ってから、ようやく歩き始めた。天気は多少は良くなってきているようだけれど、上昇していく雲の底と追いかけっこをするようなかたちで、登山道を登っていくことになりそうだ。
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笠ヶ岳 |
今や日本の日常の風景になった気もする治山工事を横目に見ながら、沢沿いの関係者以外車両通行止めの林道を小1時間ほど歩き、わさび平小屋直前で笠ヶ岳(かさがたけ)へと登る登山道の分岐に着いた。ここから本格的な登りになった。
森の中の急斜面をだいぶ登って2100メートル地点を過ぎてから、ようやく雲の切れ間から向かいの穂高岳あたりが見え出した。数年前、穂高山荘から落ちる道を、よくも降りたもんだと感心するくらいの急斜面の上に、西穂高から槍ヶ岳へ至る稜線が続いていた。天候が快復し景色が良く見えだせば、少しは足取りが軽くなるというもんだ。
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杓子平 |
杓子平(しゃくしだいら)に出る直前、しっかりと締めて無かった登山靴のヒモがからまって、転倒してしまった。
「まずいことになる」
と思った瞬間、手を出すこともできず棒が倒れるように、鼻を岩に打ち付けた。平らなところだったので、頭部を打たなかったのが幸運と言えば幸運だが、あまりの痛さにしばらくは動くこともできなかった。
驚いたのは、止めようもないほど流れつづける鼻血だった。両方の鼻の穴から、ものすごく短い間隔で鮮やかな色の血がボタボタと垂れ続けていた。生まれてこの方経験したこと無い量の出血で、またたく間に岩のくぼみに血はたまり、全身が激しくふるえ、立ち上がることもふるえを押さえることもできなかった。
「とにかく出血を止めねば」
ザックをおろして中身を放り出し、水筒の水を鼻にかけて冷やすとともに血を洗い流し、ありったけのティッシュを使って拭いていったけれど、主に出血しているのは鼻の中なのでそれ以上はどうすることもできず、頭を上げて出血がおさまるのを待つしかなかった。
どのくらいの時間が経過したのか、時計を見る余裕も無かったようで見当もつかないが、ポケットティッシュ3袋ぶんを真っ赤に染めて、なんとか出血は少なくりふるえも止まった。
「歩けなかったらどうしよう」
という不安に恐怖をいだきながら、恐る恐る足が動くかどうか確認をした。ここはそれほど人気があるコースではない上に、9月も終わるころになるとさらに登山者は減ってしまうので、最悪の場合この地点で夜を明かすことになりかねない。ただ動いてくれと祈るしかなかった。
幸いなことに、ひざを少しすりむいた程度でその他は何も異常は無かった。また、うしろから登ってきた人がいて、今夜は同じ山小屋にとまるということなので、事のいきさつを話してもしもの時のことを頼んだので、精神的にだいぶ楽になれた。
そこいらじゅうに散らかした荷物や、どす黒くなったティッシュ等をまとめ、さらに落ち着かせるためにタバコをふかしてから、再び登り始めた。下るよりもこのほうが近い。とにかく、一番近くの山小屋に行くことが先決だった。どうやら足は心配なさそうだが、鼻血はまだ少しずつ出つづけていた。
13時15分、予定よりも1時間以上遅れて、ようやく杓子平に到着。あいかわらず鼻血をポタポタたらしながら登ってきた。少し歩いて余裕が生まれたのか、ハラが減ったので、お湯を沸かして食事をとり、1時間ほど休憩した。
ここまで登ってくると樹林帯は終わり、ようやく笠ヶ岳への稜線が見え、雲の切れ間がぐっと多くなり展望が開け、ルートをはずれる心配は薄らいだ。
30分ほどの休憩の後、ポタポタ鼻血をたらしながら、15時25分ころにようやく稜線上に出た。出たとたんに横殴りの雪が降り出し、あわてて稜線から元来た方に少し降りて風を避け、いそいで雨具を着た。こんなところでからだを濡らしたら、あとが大変だ。
雪は乾いたものだったので、そのほとんどは融ける前にからだから落ちてくれたので助かったが、いっこうにやむ気配は無く、稜線に出ると強い風に悩まされた。
吹雪と言っていいくらいの天候の中、ポタポタと落ちつづける鼻血をティッシュでぬぐいながら、吹雪の中ようやく笠ヶ岳山荘にたどりついた時には、もう17時近かった。予定より2時間は遅れてしまった。
山小屋に到着すると、途中で抜いていった人が連絡してくれたおかげで、小屋の主人がすぐにガーゼや消毒液を出してくれた。心配と迷惑をかけすまない気持ちでいっぱいだったが、山小屋に入ってやっと安心することができた。本日最後に到着した客となった。
洗面所の鏡をのぞき込んで真っ先に確認したのは、キズや出血の様子ではなく、鼻が曲がっていないかどうかだった。どうやら鼻は曲がっていないようでほっとした。と言っても、元々真っ直ぐだったのかどうかはっきりしないので、なんとも言えないが。
キズは多少鼻の頭をすりむいたくらいで、大きなかさぶたができていたけれど、出血は完全に止まっていた。その一方、少なくなったととは言え、あいかわらず鼻血は出続けていたので、夕食ができるまでは横になって安静にしていた。
夕食が終わり20時を過ぎて、鼻血は止まったけれど吹雪はやむ様子も無く、時折り突風で山小屋が揺れている。この岩だらけのルートに雪が着くと、歩きにくくて困る。最悪の場合、雪が解けるまで降りられなくなってしまう。
天気予報では明日は晴れだが、それは下界の話。標高2800メートルの地点では、どうなるかはわからない。
鼻の中が腫れているかかさぶたができているのだろう、鼻が詰まり気味で寝苦しかった。
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槍ヶ岳と穂高岳 |
9月30日 笠ヶ岳山荘〜新穂高温泉〜道の駅岡部
朝6時、気温はマイナス4度。吹雪はやんでいるけれど、風はあいかわらず強い。時々穂高や槍ヶ岳が顔を出すが、雲が多く日が当たらないので、ルートに着いた雪もなかなか融けない。
どうしようかと迷ったけれど、とりあえずは笠が岳の山頂へと行った。小屋から20分もあれば到着する。岩が積み重なった、2897Mの山頂には小さな祠があるだけ。視界はまずまずだけど、寒さと風に早々と小屋まで戻った。
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霧にかすむ笠ヶ岳小屋 |
7時になっても気温はマイナスだが、日が当たり雪が融け始めたようなので、出発することにした。小屋の主人とスタッフに礼を言い、昨日登ってきた道を下ることにした。
本当は槍ヶ岳あたりまで行くつもりだったけれど、これ以上雪が降ったら本当に動けなくなってしまうし、昨日あの混乱の中で地図を無くしてしまったのだ。
「いつか又来ればいいさ」
と言い聞かせ、上下とも雨具をつけて下り始めた。
周囲の山の稜線も、真っ白になっていた。
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笠ヶ岳から北方向の稜線 |
稜線からほんの少しでも信州側にかくれれば、ウソのように風は無いけれど、ちょっとでも稜線上に出ると強い風にあおられる。
下りは何事も無く笠新道を通り、13時には温泉につかりながら、今回起きたことをあれこれと回想していた。
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